人に連絡してまで言うほどでもない事。

大学院生がつらつらと書き留めています

芸能人を夢見ることについて考えてみた

こんにちは。

はやいもので7月も終わりですね。今年の夏は本当に涼しくて夏なのか疑ってしまいますね。

 

最近、韓国のJYPエンターテインメントのプロデューサーJ.Y.Park氏がSonyミュージックと共同で行った新人発掘プロジェクト"Nizi Project"にはまって、休日に調理とトイレの時間以外タブレットにかじりついて一気見しました。

YouTubeでみれます。結構端折られているみたいですが、虹プロを知るには時間的に丁度いいと私は思いました。

 

虹プロをみて、

幼い少女たち(まぁ自分とあんまり歳変わらない子も出てたんですけど)が「芸能界で活躍したい」と言っているのをみて、なんて行動力があって魅力もあるんだろうかと圧倒されると同時に、

なんでこの子たちは、たくさんのカメラの前で、歌って踊って時にはバラエティ番組に出て遊びの様なじゃれ合いを、その年でしたいと思うんだろう…と考えてしまったので、今日はそれについて書こうと思います。

 

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歌や踊り、演技で、人に感動を与えたり魅了する存在は、もう大昔からありますよね。

ヨーロッパでオペラやバレエが盛んになって、日本でも歌舞伎や能など、まあ各国それぞれ無形文化財といいますか、その”技”がルール化・定義化し、伝承されている芸術は沢山あります。

それらをこなして、聴衆が感じられる形に表現する超人たちを、素人とは区別してプロと呼ぶと思うんですけど、

私が思うに、昔は王族や貴族などの高貴な人々と、それ以外の人々とでは、資産や身分などに、越えられない大きな壁があって、時間の使いかたも明確に差があって、

プロ=有名になるにはある程度の家柄だったり資産家の家系であるか、あるいはそのような人達と雇用関係になってバックについて貰って練習の場や時間を設けてもらうしか有名になれなかったと思うんです。

(詳しく歴史を学んでいるひとからしたらガバガバな推測だと思いますが、

ドガの『ダンスのレッスン』の絵画などは、金持ちが背後にいて練習せざるを得ない系の少女たちを描いたものだった気がするので、あながち間違ってはいないと思います。

例えばオードリーヘップバーンがwikiによると1948年にバレエ留学しているみたいですが、第二次世界大戦後であることも考えると、やっぱり裕福な家庭だったんじゃないかなあ?)

 

一方で現在は、

DVDやネットがあって、テレビもスマホも当たり前な世界です。

貧富の差はもちろんあって社会問題ではありますが、総じて世界は豊かになりました。

一般家庭の子も芸術を学べるし、河原で大声で歌っていても処刑されることもありません。

先程述べた時代より、誰にでもチャンスがある時代になったんですね。

家系や資産は関係なく、魅力と努力で一世代で有名になれる。

親の年収と子供の学歴や将来の年収が比例する傾向にあるという問題を日本社会は抱えていますが、芸能界は関係ないというところに、チャンスの平等さがあり、いっそう強く「芸能界での活躍」に現実味を与えてくれるんですかね。

 

 

🐓「有名になるって、あたしはちょっぴり怖いけど」

🐤「心が強いんだよ。素敵な魅力を共有してくれるなんて、あたしは嬉しいよ」